平成21年(う)第1383号 国税徴収法違反被告控訴事件
被告人  上脇 義生 

再審請求陳述書

平成26年7月3日
神戸地方裁判所  御中 
被告人  上脇 義生
第1章 1、はじめに
    2、今回の事件の背景
第2章 訴訟手続の法令違反
    1、被告人検察官調書の違法性
第3章 事実関係に誤認が有ります
    第1 西川に関すること
1、西川の経歴、性格等
    2、西川とY.Hの関係
    3、西川の責任転嫁と赤松への恨み
    4、西川の当時の状況
    5、事件の事実誤認
    6、西川と検察の思惑
   第2 共謀の事実及び関係者の時系列の事実誤認
    1、上脇手帳による考察
    2、平成17年4月20日
    3、平成17年4月25日
    4、恒松との関係
    5、平成17年4月29日
6、平成17年5月9日
    7、共謀の事実誤認
第4章 結び

第1章 
1、はじめに
 原判決には、事実認定に明らかな誤りがあります。また逮捕手続き・訴訟指揮にも憲法違反の疑いがあります。さらに犯罪事実の特定(日時・場所・方法・内容)すら出来ず、共謀の事実もなく、動機もないことから、明らかに冤罪であり、私は無実です。
今回の事件では、共犯者とされる西川・赤松と上下関係や利害関係もない私が、西川に対し法を犯してまで脱税指南をする動機も必要性もなく、私が赤松を西川にあっせんして市議の立場を失うようなリスクを負うことも考えられません。また私には税務の知識は全くなく一方、西川は風俗業界40年のベテランで、脱税の摘発も受けており、税金対策は十二分に承知しているのです。原判決は検察の論告そのままで、多くの点で事実誤認があり、共犯者の供述のみで有罪とされた私は市会議員から無職の被告となりました。

平成20年3月の逮捕・起訴、度重なる報道により経済的にはもちろん、地域や人間関係においても今までとは比べようがないほど厳しい状況の中で日々を送っております。くじけそうになる私の支えになっているのは、裁判の判決は間違いだと私の無実を信じてくださる友人、知人、多くの支援者の方々、そして最愛の家族です。

原判決では「犯行を否認して無罪を主張し、声高に捜査機関を批判する」とありますが、私は無実の罪で逮捕・勾留されて起訴されたのですから、人間として違法な逮捕・捜査を許すことは到底出来ません。ただ、実刑を免れるために私を陥れた西川や、検察の脅しと誘導に心ならずも私を共犯とする供述調書を作成された赤松に対する恨みなどはなく、検事さんにも個人的な恨みはありません。

公判でも証言(2-39・40頁)したとおり、「起訴すれば、99%以上有罪にする」という検察の国家権力の横暴な体質・体制に問題があると指摘しているのです。地裁では法廷での証言を信用できないと有罪になりました。
大阪高裁の裁判では何ら証拠を吟味せず却下になりました。
最高裁でも、わずか3週間で却下となり、世間からは断絶され、家族・親族ともども後ろ指を指される辛く厳しい生活をしております。
今回、思いがけず、主犯の西川氏が勇気を出して、私に謝罪をして下さり、検察の意図的な調書作成や、西川氏自身が実刑を免れるために私を犯罪に引きずり込んだことを赤裸々に証言して真実が明らかになり、再審請求をして無実を勝ち取る大きな力になりました。 この裁判で私の無実を証明していただけると信じて、この陳述書を提出いたします。

2 今回の事件の背景
  私の事件の2年前、今回と同じく大阪国税からの告発を端緒に、神戸地検の独自捜査により議長経験のあるM神戸市議を収賄で逮捕・起訴し、その後息子のMT市議も収賄で逮捕・起訴して(2名とも実刑)大きな話題になった。
  あれから2年、神戸地検の独自捜査で、再度汚職事件を検挙したいという願望が、実刑を免れるため私を共犯者に引き込んだ西川の勾留尋問の弁解に飛びつき、マスコミ受けする公明党神戸市議(元警察官)をターゲットにして、必ず収賄があるとの見込み捜査で予算特別委員会開催中の私を逮捕し、「神戸市議、風営業者に脱税指南」とマスコミにリークして全国に報道させた事件である。
国税徴収法違反については確証が無いまま、身柄を取れば何か収賄があると見込んで大がかりな捜索・押収をした(上脇公判供述2-37~40頁)ものの、目当ての収賄の事実が何もなく捜査が空振りになったが、現職の市議を逮捕して処分保留はあり得ない、必ず有罪にするとの検察の威信のため、勾留延長して違法な取り調べを敢行し、選挙支援というあり得ない動機(判決でもこの動機はさすがに否定されている。)をこじつけて、無理矢理に関係者の調書を作成し、私を国税徴収法違反で起訴したものである。
今回の西川氏の新証言で、西川氏の保身による嘘と、議員の逮捕を最優先に考えて、手柄のために強引な捜査・取り調べを行った検察の冤罪作りが明らかとなったのである。

第2章 訴訟手続きの法令違反(刑訴法379条)


第1  被告人検察官調書(検乙2から4)の採用の違法性
違法な逮捕による身柄拘束をして、取調した供述調書の任意性はなく、採用することは法令違反に当たる
1 違法逮捕・違法な捜索・押収
  今回の逮捕状請求は、共犯者の西川・赤松の調書もない、検事の作文した捜査報告書で請求するという、極めて違法性の高い見込み捜査である。
  また、逮捕の必要性についても、憲法違反(厳格な令状主義)の疑いがある。  当時、神戸市議会では、予算特別委員会の開催中であり、私には逃走のおそれは全くないし、三年前の事件で、共犯者は2人とも逮捕勾留中であり、証拠隠滅のしようがない。また、凶悪な犯罪ではなく、取り締まり法規違反である。  通常は、もし捜査をするとして事情聴取で終わる事件である。 これは、令状主義を厳格に決めている憲法に違反する。

2 通常逮捕(刑事訴訟法199条)
罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があること,という要件がない。
逮捕・勾留(しかも勾留延長)した共犯者の調書も作成せず、逮捕状請求書はO検事の捜査報告書のみで被告の逮捕状を請求した。(平成20年3月10日付・O検事作成の捜査報告書)
同報告書の記載事項によると、「西川の供述によれば,西川は,上脇に食事やY.Hのスナックでの接待をし,毎回現金数万円を渡していた。」等,調書も作成しないで信用性も全くない作文をしていた。
 O検事は、捜査報告書(平成20年12月19日付)で、西川の取り調べをしながら、平成20年2月28日から3月11日まで供述調書を作成していないと自ら認めている。(上脇公判供述2-37・38頁)

3 逮捕すべき相当な理由があったのか
検察の見込み捜査で、「政治家の身柄さえ押さえれば必ず収賄があるはず」と逮捕を強行した(上脇公判供述2-38~40頁)。
国税徴収法違反で、なんら実行行為もなく故意も立証できずに、ただ単に3年前にアドバイスしたかしないかとの事で、逮捕すべき相当な理由はあり得ない。

4 逃亡のおそれ又は罪障隠滅のおそれがあったか。
私は,市会議員として毎日、市議会に行き、本会議、予算特別委員会に出席している(平成20年第1回定例市会日程に明らかであり,当日も予算特別委員会が開催されていた)。
3年前の事件で、共犯者2人は逮捕拘留中である。名義貸しをアドバイスしたかどうかについて共犯者らと口裏を合わせるなどの罪障隠滅のおそれはない。

5 捜索・差押の令状請求と留意事項(刑訴218条、219条)
法は,捜索すべき場所、物についての範囲を明確にすることを求める(特定の根拠 憲法35条1項、刑訴218・219条、刑訴規則155条)。
今回の捜索・押収について、自宅における6時間余の長時間にわたる差押えも問題であり、押さえるべきものに関係なく手当たり次第に押収していることは刑訴法に違反しており、子供のマンションや議会控え室の捜索などはまさに今回の事件とは関係なく、検察の狙いは収賄であったことが容易に推察(上脇公判証言2-37~39頁)される(それぞれの押収品目録交付書)。
○ 灘区自宅(借家)からの押収品 午前7時過ぎから午後1時半頃まで 
立候補準備関係資料、スポット街頭予定表、神戸市役所さつま会、訪問予定表、市会本会議要旨メモ、選挙運動費用収支報告書、新人議員研修テキスト、推薦決定通知書、など89点押収
○ 普通乗用自動車からの押収品
 年賀状、領収書、平成20年灘区新年の集い参加者名簿、など11点押収   
○ 垂水区マンション(息子が居住)からの押収品 午前11時頃から
 会員名簿、兵庫県警友会30年の歩み、統一選事前広宣物計画等、平成7年度予算要望書、尚史の思い出ノート6冊(平成13年事故死した二男の法事の記録帳)、評議員会資料、電話作戦ファイル、認定証等のファイル、 など48点押収
○ 市議会公明党控え室からの押収品  午後0時過ぎ頃から午後3時ごろ
  調査研究費清算表、年賀状、相談ノート、うえわき義生君を励ます集いの案内状、確定申告書、会議ノート、アルバム、領収書、請求書、陣中見舞受入一覧表、公明党東神戸総支部のファイル、法令資料ファイル、参考資料(党)ファイル、パソコン、フロッピーディスク、など55点押収
○ 上脇の所持品からの押収品(逮捕時)
通帳、カード、USBメモリー、手帳、市民相談ノート、など18点
    「 押収品 合計221点 」
  押収物で、本人以外の妻・子供の物を多数押収している。
 もちろん当然のことですが、今回の裁判で証拠として提出されたものは、一つもない。 3年前の言った・言わないという軽微な事件で、大規模な捜索を行うこと自体が、いかにも胡散臭い。 検察の恣意的でマスコミ受けを狙った捜索がうかがわれる。
○ 上脇手帳の発見
検察側は,垂水のマンションの捜索・押収では、重要な証拠となる平成17年の手帳を発見できなかったが、収賄立件を目論んで、選挙関係、相談ノートなどを押収している。
私の平成17年度の手帳は、子供の本棚にあって、その後マンションを引き払うときに、雑誌やビデオとともに段ボールに詰められ、灘区の自宅に保管されていた。
今回、控訴に当たり再度探したところ、段ボールの中の雑誌の間から発見された。事件当時の手帳を見落とすなどは、収賄を目的にした押収をしていながら、見逃すことは考えられないが、子供の居住している住居だったので見落としたことが考えられる。

6 捜索時の暴行・逮捕行為と同様な任意同行
捜索時、同僚議員に連絡するため、携帯を使用しようとしたところ、事務官が大声を上げて両手で私の左手をねじ上げ、痛さにたまらず携帯を離すと、携帯をもぎとった。これは、暴行・傷害である。 妻が現認している。
 また、逃亡を阻むため前後を事務官が挟み、自宅前に駐車していた公用車の後部座席に事務官に挟まれて乗せられ、検察庁についても、両脇を固めて検事の部屋に同行した。これは、明らかに逮捕行為であり、逮捕した場所は自宅であり、もちろん逮捕状を示さない違法逮捕である。

7 弁護人選任権の侵害  刑訴30条~35条
  弁護人選任権は、憲法の要請に基づく被疑者の権利(憲法37条3項)
  逮捕時(3月11日午前8時55分)に、私がK検事にO弁護士の名前を告げ、その場で弁護士名簿により電話番号・事務所所在地まで確認し、直ちに連絡するように懇願した(弁解録取書に記載している)が、これを無視し、その後午後3時30分頃心配して検察庁に赴いた私の妻と父親に対しても、逮捕の事実さえ言い渋り、弁護人への連絡もあえてしなかった。弁護人が公明党本部と連携して動かないうちに、身柄を確保して拘置所に送り、マスコミに広報してまず手柄をあげる。まさに、意図的に悪意を持って、弁護人への連絡を無視した。これは、人権を無視した憲法違反であり、捜査機関としては禁じ手である。この弁護人選任権の侵害が、その後の取調にも大きく影響して、被告の精神的な動揺を誘い、検察官の誘導尋問を容易にする働きとなった。

8 違法な取り調べ(上脇公判供述1-4~9頁)
  逮捕から3~4日の検事の取り調べは、私の相談ノートなどから、陳情や市民相談を拾い出して、「この人からいくら謝礼をもらったのか、この案件の成功報酬はいくらだったのか。必ず見返りがあるだろう。」といかにも私が賄賂や不正な金品を受理していると決め付けて質問を繰り返したのです。
 また、西川からも報酬を受け取っていただろうとしつこく聞いてきました。
 私は、あまりの馬鹿らしさに腹が立ちましたが、一つ一つ丁寧に説明して、私を含め、公明党の議員が汚職に手を染めることなど絶対にない、と言い切りました。さすがに4日目の後半には、検事が「君は本当にクリーンな政治家だな。金銭に関しては見事なくらい何にもない。この件に関してはわかりました。ただ、西川の税金逃れを指示したことは、証拠も証人もいる。この件は、検察の威信にかけて起訴するぞ。」と自信満々に言うのです。

 私にしては、無実ですし、最初から有罪とは心外ですので、検事とは激しい応酬になったのです。 検事も毎日攻め方を考えてきて、自白を迫りますが私は無実なので応じるわけには行かなかったのです。

 検事は新聞報道を、何度も示して、動揺を誘い、保釈をえさに自白を迫るという取り調べを敢行してきましたが、これは間違いなく違法であり、任意性がない。          その上被疑者に新聞を見せることは、明らかに監獄法違反である。(K検事取調メモ「新聞を見せる。予想していたが、ショックが大きかった。」。
  当時は総選挙が夏か遅くとも秋には行われるという情勢であり、各党も念頭から様々な政治活動を開始していたのです。
 公明党も、最優先の選挙ですので、私たち神戸市会議員も選挙の準備で訪問活動や、企業に向けての支持依頼をしていたのです。
 検事は、私の活動ノートなどから、選挙活動をしていると把握していましたので、私の一番の弱みは、私の逮捕が総選挙に悪影響が出ることだと感じていたのです。
そしてK検事は、総選挙が近づいてきているという世論・報道を利用し、「否認を貫くなら、かまわない、保釈はぜったいしない、裁判は証人をひとりずつたてて、選挙まで引っ張るぞ、公明党にまたダメージがあるぞ、いやなら早く認めてしまえ、どうせ簡単な事件で執行猶予なんだから」と厳しく偽りの自供を迫りました。
検事はまた、「否認を続けるなら絶対に保釈はない。党や支持者はどう思うかな。このままずっと、拘置所にいればいい。連日の報道で、家族もお前自身も神戸におれなくなるぞ。西川に指南したと認めてしまえ。楽になるぞ。」 「何人弁護士を入れても、勝てるわけがない。西川も赤松もお前が指南したと認めている。それに、恒松やMもお前が黒幕だとはっきり認めている。仮に、お前一人が無実を叫んでも、裁判官は検察の調書を信用する。
この裁判でお前が勝つ見込みはゼロだ。このへんで負けを認めたらどうだ。」
と連日責め立てられました。
 選挙妨害を脅しの材料にしたり、否認すれば保釈はない、関係者は全て認めているとの虚偽など、この検事の取り調べは明らかに違法です。
 私自身、自分の汚名を晴らすと決意していましたが、新聞やテレビの報道で、党本部にも苦情と私の擁護の電話や手紙が数多く来ていると弁護士の口から聞かされ、進退窮まったのです。
 このまま、否認を貫いても、無罪を勝ち取るのは極めて困難だ、認めなければ間違いなく検察は選挙まで公判を引き伸ばして公明党のイメージを落としてくる。
 私の苦渋の決断は、議員辞職をして、犯行の一部を認め、保釈を勝ち取って、あとは裁判で戦うしかないと決めたのです。
 検事の取り調べといっても、調書は、関係者の調べと平行して行い、検察のストーリーにあわせて作成し、できあがった調書に署名・指印を迫る(これは、検事面前調書ではない。)など、任意性も信用性もないものでした。
そもそも、違法な逮捕、違法な捜索押収に基づく、違法な取り調べによる供述は証拠に採用してはならないはずです。
任意性・信用性のない自白調書を、検察の言うままに採用し、この調書で共謀を立証すること自体が法令違反であり、私は無実です。

9 公判中心主義違反
明らかに、憲法37条1・2項の精神に違反している。
 公開の裁判での赤松証言、上脇公判証言を、合理的また正当な理由もなく信用できないと排除するとともに、密室の中で拘束されている被疑者に対し、脅しと偽計を駆使してストーリーを作文した検察の調書(赤松調書・上脇調書)をためらいもなく採用するなど公判中心主義に明らかに違反している。
 今回西川氏の新証言で、私の無実は明確に証明されました。

第3章 事実関係に誤認があります。(刑訴法382条)
第1 西川に関すること
1 西川の経歴、性格、等
西川は、20代から風俗業界に身を置き、店員から始めて独立し、平成10年ごろには、三宮で4店舗、福原でも7店舗を経営するオーナーで、派手な宣伝とパフォーマンスで人気を呼び、利益を上げていた。彼は、風俗業界で40年のベテラン、同業組合の組合長をしていたことから、業界の各オーナーとも交友関係があり、相談に乗ることなどで信頼されていた側面もあった。また暴力団反対運動を行って、地元のやくざとも渡り合い、みかじめ料を拒否するなど、あらゆる手段を駆使して事業を発展させており、税金対策などは当たり前で、日頃から税に関する十分な知識・経験がある。皮肉なことに、短期間の事業の拡張が国税の目にとまり、査察を受けることになる。西川社長自ら裏帳簿を作り、女子従業員の所得をごまかして脱税を繰り返し、平成13年には、所得税法違反・国税徴収法違反で有罪・懲役1年6か月・執行猶予4年の判決を受けている。さらに、国税OBの顧問税理士を抱えており、税務の知識は私より、はるかに詳しい。法律的にはM弁護士がおり、事件の直前平成17年1月にも本人と恒松行政書士が相談に行っていることが、西川の証言(44~46頁)でも明らかである。
  また、国税に摘発を受けた後に、(有)三愛人材センターを平成13年12月13日に設立しており、従業員の派遣、おしぼりなどの供給を帳簿上で画策し、(有)サンゴールドのトンネル会社にして税金対策をするなど、国税対策については、相当な知識と、また相談する相手が複数存在していた。(検甲34号証)
  西川新証言、恒松新証言で、今回の仮装譲渡の発案は、Y顧問税理士であることが判明した。

2 西川と吉井の関係 

西川はY.Hとはいわゆる愛人関係である。西川はY.Hがスナックを開店したころからの常連客で、いわゆるパトロンの存在である。Y.Hは経営にいきづまり、西川にも相談しながらスナックを平成17年2月に閉店してその後は西川の店で働くようになった。西川がY.Hを法人の代表者にしたのは「秘密も守れて、西川を裏切らない人、ビジネスパートナーだった」というが、つまりはそれぐらい信頼しあう関係であった。赤松が名義人として仕事をしてからも、大事な事務所の鍵は、西川・西川の娘2人、そしてY.Hが持っていた。Y.Hはその後もスナックの消費税の支払いに困って、結局西川が精算している。(Y.H証言24・25頁、31~34頁、西川証言17・18頁、74・75頁、上脇公判供述2-13~15頁)
今回、西川新証言、恒松新証言でも明らかになっている。

3 西川の責任転嫁と赤松への恨み 
西川の性格・経歴からして、自己の罪責を軽くするために私を巻き込み責任転嫁したことは明らかであり、検察の主張も私が首謀者であるとストーリーを組み立てていたのである。(後に、首謀者説は崩れ、判決でもうまくすり替えて、西川の動機を否定し共犯者に引き込んだ可能性は低い。)としている。

  また、赤松への恨みを私に向けたとの動機については、なんら合理的な理由もなく認めがたいと断定。これは、Y.Hの赤松に対する怨念「警察に密告したのは赤松、店をめちゃくちゃにしたのも赤松、自分が社長と触れ回って会社の寮を私物化したのも赤松、赤松は絶対に許せない。」との強烈な思い込みが上脇にも及んで飛び火をしており、西川に対して、「赤松は許せない、それに上脇も知っていながら赤松をかばっている。」と常々吹き込んでいた。(Y.H証言14・15頁、19~21頁、西川証言53・54頁、赤松証言、上脇公判供述2-56・57頁)
また、国税での事情聴取における西川の強烈な赤松への怒りを見逃してはいけない。(検甲53・54号証)
さらには、法廷での西川証言(53・54頁)、「赤松は、軽蔑している」との証言は西川の本音が出ている。西川と赤松が店を守ろうと協力していた事実があり、信頼関係もあったからこそ、赤松の裏切りに対して軽蔑をしている。
原判決は、私の動機がないのを無理やりに作り上げる一方、西川が被告を巻き込む動機についてはすべて否定しており、まさに事実誤認である。
 今回これらは西川新証言と恒松新証言で明白となった。

4 西川の切迫した当時の状況
  平成13年の脱税事件の判決は、懲役1年6ヶ月・執行猶予4年となっており、今回の事件を敢行したのは、その執行猶予の期間中のことである。
さらに加えて、平成19年8月末に無許可の風俗営業(個室マッサージ)で警察にY.H、W店長とともに逮捕・起訴されており、同年10月24日に「懲役10ヶ月・執行猶予3年、罰金100万円」の判決を受けている。
この状況から見れば、西川は、「もし、国税徴収違反で逮捕されれば間違いなく実刑になる」と、日々発覚をおそれていた。平成19年10月26日に国税に呼ばれて事情聴取されたときに、西川の切迫した気持ちがはっきりと現れている。そこには「風営法違反で執行猶予3年やから、ヘタ打たれへん。検察の求刑どおりの判決やった。普通の判決は7割か8割に減るのに。」と西川自身その心境を吐露している(検甲53号)。
  また、西川自身の罪を逃れるために、出頭した国税の事情聴取では、「赤松が経営者である。赤松の事業である。赤松が嘘を言っている。」と否認を貫き、平成20年2月14日の2回目の事情聴取では、「赤松に事業を移した。赤松が経営者になって、私の手が離れた。本来なら赤松を逮捕すべき。もう何とかしてくださいよ。赤松をやってくださいよ。」と徹底して否認しており、署名すら拒否している(検甲53・54号)。
平成20年2月27日に逮捕された西川は、検事の取り調べを受けたが、「西川さん、今回で2度目や、今度は重いで、脱税のやり方は誰に教えてもらったのか、あんたの考えではないやろ。それに赤松を紹介したのは誰や。」と責められ、このまま違反を認めたら間違いなく実刑だ。検察は上脇先生の名前を言わせたい。これは上脇先生を引き込んで助かるしか方法はない。」と追い詰められ、勾留尋問の時に初めて私の名前を挙げて指南を受けたと証言した。
  西川が、自身の人間関係の中から、市会議員の上脇の名前を挙げたのは、共犯の赤松には恨みがあり、上脇がその同級生で、元々上脇の紹介で赤松と知り合ったからである。そしてなによりも、検察が逮捕したいと望んでいる市会議員の上脇を首謀者にすれば、検察がかならず話に乗ってきて、確実に自分の罪を軽くすることが出来るという打算があった。
  市議を逮捕したい検察にとっては、いかにして西川から私の関与を聞き出すかとあの手この手で、西川を揺さぶり、連日の取調を行いながら、供述調書を作成せず(弁10号証)に、何とかして私を罪に落とすために、被疑者の西川に上脇の収賄のネタを聞き出しながら、私の逮捕に向けたストーリーと資料作成に奔走し、3月10日O検事は共犯者の西川の調書もなく、捜査報告書だけで被告の逮捕状請求書を作成して、同日逮捕状を手に入れたのである。そして、翌11日早朝、私を逮捕し、自宅、乗用車、議会の控え室、垂水のマンション(子供が居住)を一斉に捜索した。

5 事件の事実誤認
このような事実関係を見れば、西川が無実の私を巻き込んで、西川自身の裁判を有利にして、なんとか実刑を免れようとしたことは明らかである。
原判決の「そして,西川がこの共謀の点であえて虚偽供述をする動機があったかについてみても,本件における共犯者間の利害関係や立場,利益分配等からみて,西川が本件の主犯となることは明らかであり,被告人を首謀者として本件の共犯に巻き込み、責任転嫁出来るような関係にはなく、自己の罪責を軽くするといった動機から被告人を共犯者に引き込んだという可能性は低い。」は、西川のなんとしても実刑を免れたいという事情を無視した判決で、明らかに事実誤認である。
また、それに続く原判決「弁護人としては,赤松への恨みを被告人に向けたとの動機を指摘するが,弁護人の主張を前提とすると,本件は,被告人と無関係に,西川と赤松が勝手に始めたものであり,被告人は,その後に,無報酬でその便宜を図って上げることに関与したにすぎないというのであるから,その被告人に対し,赤松と親密な関係にあるというだけで被告人を恨んで,本件の共犯者,首謀者に仕立て上げようと画策したということも考えにくく、そのような動機があったとは認め難い。」についても、赤松への恨みは、西川証言、吉井証言、検甲53・54号からも十分に推認できる。
今回、西川新証言に赤松との共謀、その後の確執、恨みへの心境が書かれており、判決は事実誤認で明らかに間違いである。

6 西川と検察の思惑
  西川が、上脇の名前を勾留尋問で首謀者とした理由(上脇公判供述2-36・37頁、56・57頁、検甲53・54号)
(1)西川は実刑だけはなんとしても逃れたい。
「西川は風営法違反の判決、懲役10月・3年の執行猶予中で、しかも国税徴収法違反事件を敢行したのは、前科の脱税事件の執行猶予期間中となり、実刑が確実とおそれ、何とか第三者(人間関係の深い上脇市議)を巻き込んで、自己の罪を軽くして実刑を逃れたい。」
平成20年6月13日西川・赤松の判決
  西川は、懲役1年6ヶ月・執行猶予5年と実刑寸前の判決であった。
 五十嵐裁判官の判決文の中に、「当初から滞納処分免脱の意図があったとは言えないこと、仮装譲渡という本件の手段を考案したのは被告人ら(西川・赤松)ではないこと。」とあり、西川が実刑を免れたのは、まさに上脇市議を首謀者として検察に供述したからに他ならない。

(2)赤松に対する恨み(それに関係する上脇)を晴らす。
これには、愛人関係にあるY.Hの存在が不可欠である。Y.Hは、風営法の検挙が赤松の警察への密告と思いこみ、強烈な恨み・怨念がある。また、営業所での様々なトラブルでも赤松を憎んでおり、赤松の所行は上脇も承知していて黙認していると考え、それを逐一西川に報告し、西川はY.Hのいいなりで、その報告のすべてを信じていた。そして、Y.Hの度重なる讒言で西川も上脇への信頼が揺らぎ「坊主にくけりゃ、袈裟までも」のたぐいで、Y.H・西川の赤松への恨みは上脇にも向けられたのである。(Y.H証言14・15頁 、西川証言53・54頁 、上脇公判供述2-56・57頁、赤松証言、検甲53・54号)

(3) 上脇を首謀者にして実刑を免れたい西川と市議を逮捕したい検察の思惑(利害)が一致した。
 被告人から、「西川さん、誰かに名義を換えたらいい。そうすれば、国税もこない。」と聞いた西川が「これは、いい考えだ、よし、名義を変えよう」という話は、素人でもおかしいと思うやり方で到底信用できないし、いかにも不自然である。 これは、西川が実刑を免れるために、苦し紛れに作った話であり、市議を逮捕したい検察とのまさに利害が一致した産物である。
そして、2年前のM事件と同じ構図で、「国税の告発を端緒に、神戸地検独自の捜査で市会議員逮捕」という功名心から、検察が積極的に西川に上脇の関与を聞き出した可能性が十分考えられる。なぜなら、告発の際に「国税での、赤松の調査報告書、西川の調査報告書」さらには、兵庫警察署での風営法違反の詳細などの資料、それに赤松の自宅から押収した「覚書」や赤松メモなどから、上脇議員の名前を割り出し、何とか関与させて身柄をとりたいとの野心があった。
 西川 2月27日逮捕、同日、赤松の自宅捜索・差押・押収(内妻立会)
 また、平成20年2月28日の赤松の事情聴取でも、「上脇の関与について、しつこく聞いている。」(赤松証言) 
今回の西川新証言、恒松新証言、西川・赤松の判決文、写真等の新証拠から原判決のいう共謀は事実誤認であり、私は無罪である。



第2 共謀の事実及びその関係者の時系列の事実誤認 (刑訴法382条)

1 上脇手帳による考察
上脇手帳は、細かい字でその日の予定・行事・会った人の名前などを記載しています。原判決とこの手帳の記載事項を比較すると、私の法廷での証言が大筋そのままの事実を話していることが分かります。
西川新証言、恒松新証言により、私の証言が正しいことが証明されました。
2 平成17年4月20日(水曜日)
4月20日 13,30研修、学校厚生会 N152(警察の略語で警部)17梅の花(役員で夕食、その後事務所に移動して) 西川・恒松・M
恒松が、上脇に「西川さんの事務所に同行してほしい」と頼み、先輩の恒松がいうので、断れずにタクシーで西川の事務所に同行した。(午後7時頃か)
  4月19日、兵庫署へM・Y.Hが事前相談に行った翌日のことであり、おそらく西川から恒松・Mは呼ばれていた。 西川が多分恒松に対し、「上脇先生にも声をかけてくださいよ」と依頼していたと考えられる。
  今回、恒松新証言、西川新証言、手帳の記載から私の証言が事実と判明した判決はこれらの人間関係に配慮しておらず事実誤認である。

3 平成17年4月25日(月曜日)
 4月25日18時JR元町 西川
このとき、西川の懇願で、10分程度喫茶店で西川と面談
「赤松に店を手伝ってほしい、上脇先生から声をかけてください」
私は、明確に断る。(上脇公判証言(2)21,22頁)
この時には、県警での経験上、西川の意図が「赤松を店の名義人にする」かもしれないと漠然とであったが不安を感じていたので、はっきりと断った。
又赤松の性格、プライドから、私が話しても聞かないことはわかっていたし、当時は西川と赤松は、公私ともに昵懇の間柄であり、私が話す必要は全くない。
このことも西川新証言で明白となり、この会見を全く無視する原判決は事実誤認である。
この後、西川が赤松に電話して、事務所で会い仕事をすることになる。
  赤松証言(25~34ページ)
  あくまで、今回の共謀は、赤松が西川と事務所であって、いろいろと西川から詳しい状況を聞いた上で、赤松が志願して引き受けたのが真実である。
 これも西川新証言で明白となり、法廷での私の証言、赤松証言を全く無視するのは事実誤認である。

4 恒松行政書士との関係。
私はそもそも先輩の恒松の紹介で西川と知り合った。
恒松と私は、兵庫県行政書士会の専門部会の役員で、恒松が委員長、私が副委員長の関係で極めて親密な関係であった。
  恒松は高齢を理由に、被告に委員長を譲りたいと希望していたが、被告は市会議員として多忙なためこれを固辞し、その代りに部会の実務についてはすべて私が企画立案していたのである。
  したがって、恒松は私を頼りにしており、頻繁に電話をして、会議の日程や、法令の検討、講習の段取りなどを話し合っていたものである。
  検察並びに、判決では、恒松が被告に報告する必要はないとして、恒松が電話をしたことを私が関与していたとみているが、間違いである。
  恒松は、いろいろな相談の電話をしたついでに、サンゴールドの話をしているのであり、これは恒松と私との信頼関係によるところが大であり、特段そのことのみで、恒松が私に報告をするわけでは毛頭ないのである。
  このことは、検事の尋問にも、「仲良しですから、行政書士の役員をしているので、連絡をもらっている。サンゴールドの報告のためではない。」と明確に証言している。このことも、恒松新証言で明白となった。

5 平成17年4月29日(祝日・金曜日)
10時30分 ひまわりの家 オープンセレモニーに参加、挨拶の後、立食パーティ 
午後 地域の訪問活動、約40軒、ご挨拶と陳情、相談、要望等を聞き取る。
18時 Y宅訪問、市民相談受理、その後友人のH宅・餃子パーティに参加
  当日のスケジュールを見ても、判決(M調書引用)で言う西川の事務所の会合に参加は出来ない。翌30日は、行政書士会神戸支部の総会で、午後から深夜まで恒松・Mとずっと同席しており、29日頃に西川の事務所に集まったというというM調書は事実ではない。

6 平成17年5月9日(月曜日)
11時 議員総会 神戸市議会 公明党控え室 
13時 西川・真(赤松眞一郎)・M・恒松
つまり、この日に西川の事務所に呼ばれていった。
たぶん、恒松氏が「西川社長から来てくれと言われています。上脇先生、ぜひ、事務所に顔だけでも出してくださいよ」と私に電話で声をかけたと思います。
私が事務所に行くと、西川・恒松・がおり、赤松もきました。
恒松が「今度は個人でやります、赤松さんです。」と話を切り出した。
私には「やはり、赤松で名義貸しをするのだな」とすぐに理解できました。
 もちろん、風営法で名義貸しは違反になりますが、すでに許可申請の動きが進んでおり、恒松・Mは仕事でお金をもらえる(1店舗25~30万円が許可申請手数料の相場)し、先輩達に何も発言はしておりません。
 といいますのも、私に相談をするような話ではなく、既に西川・赤松で合意をしており、それを恒松に依頼をしていたのですから、本来私には全く関係のないことでした。
それに、西川も頑固で自分が決めたことを変えないと知っていましたので、今更何を言っても無駄だと思い、10分ぐらいで、「議会に戻ります」と先に事務所を出て、市議会に戻りました。その後は多忙でもあり、西川の事務所には1度も行っておりません。
 また、私は西川の国税のがれの認識については、当時全く思いもしなかったのが事実であり、この時にはっきり理解できたのは、西川が赤松に風営法で言う名義貸しをさせるんだなという事だけでした。
これも西川新証言、恒松新証言、手帳等から真実であることが明白です。

7、 共謀の事実誤認、(M調書を都合よく引用)
  4月21日から1週間ぐらいした4月29日ごろ、これはMの記憶違いというより4月下旬の共謀を画策した検察の誘導尋問です。 Mは兵庫県警での私の先輩に当たり、刑事・生活安全部門で勤務しており、風営法は熟知しています。またMは当時66歳、3年前のことを詳細に覚えている方が不自然、検察はMを取り調べて被疑者調書として作成しており、おそらくは、検察の言うとおりに署名しなければ逮捕するぞとの脅しがあったと考える方が自然である。
結論からいうと全員が顔をそろえたのは、実は連休明けの5月9日。
赤松の供述からも、連休明けに全員が顔をそろえて、赤松個人の名義貸しがスタートしたと考えるのが妥当である。 私は、20日、25日以外で西川と会う時間はない。 手帳の記載事項により、裏付け可能。 
  今回西川新証言と恒松新証言、行政書士会総会等の資料で明白となった。
少なくとも当時のスケジュールを見ると、西川と会うことはないし、その記述もない、また、話の流れからしても、上脇と西川の共謀が4月下旬にあったと言うことは検察のストーリーで嘘である。
また、4月30日は、神戸支部の総会で、恒松・Mとずっとともに行動し、
 総会、懇親会、二次会と午後11時頃まで飲食していた。
この日も、恒松先生をタクシーで東灘の自宅に送った記憶がある。
 このときには、赤松への名義変更の話は全くなかった。 Mから、「西川社長から、Y.H個人で申請してくれと言われた、恒松先生は受けるつもりだったが、私としては、とても出来ないと断わった。」との愚痴めいたことを聞かされましたが、もちろんこれは相談事などではなく、Mも単なる愚痴として私に話しただけのことです。
つまり、西川が、恒松に赤松の名義変更を依頼したのは、連休明けと考えられる。この総会の事実は、M調書には全く出てこない。
これは、西川新証言、恒松新証言、私の手帳、その他行政書士会の記録などで明白に証明されている。

第4章 結び
 公明党の結党は昭和39年で、一般の民衆の中から政治家を選んで、民衆のための政治を行うとの目的で立党されている。したがって、公明党の選挙は他党とは全く違う。まず、候補者は自分が出たいと思っても、公認にはならない。それぞれ、いろんな仕事をしている人の中から、地域で推薦を受け、何度も面接を受けてようやく決定する。選挙の支援は、公明党の党員を中心に、支持母体である創価学会の会員や、党の支援者がそれこそ献身的に応援をしてくださる。それだけに、もし不祥事や、汚職などがあったときには厳しい批判が待ち受けています。

今回の私の事件は、総選挙が夏から秋には行われるだろうという背景の中で起こったのです。全国放送で事件が流れ、翌日の朝刊各紙の1面に私の記事が写真入りで掲載されたときの公明党、党員、支援者の驚きと怒りは想像できないほどの大変なものでした。
 取調で検察官から、私自身の報道記事を見せられたときの衝撃は未だに忘れられません。父を目標に警察官を拝命し、警察署長を目指していた私が、地域の多くの人の要請を受け、政治の道を進んで14年、神戸市議1期を経て県会議員選挙の落選も経験し、選挙区を変えて神戸市議会議員に返り咲き、3期目の議員として懸命に神戸市民のために職務を遂行していた矢先の出来事で、頭の中は真っ白になり、精神的に追い詰められ、息の詰まるような苦しさでまさに地獄でした。
 多くの支援者の事を思い、申し訳のなさと、拘置所の中で罪人扱いを受け、何一つも弁明が言えない状況、そして理不尽な検察に対する怒りで、日々身を切られるような思いで過ごし、消灯後、布団の中で悶々と悩み、ほとんど眠れずに朝を迎えていました。検事は、押収した議会資料や、選挙関係書類、そして私の話から、私が一番困るのは党に迷惑をかけ、支援者の不満・批判をあおることだと十分に分かって、マスコミをうまく利用して、公明党にダメージを与える方法で私を責めてきたのです。
 検察は、合法的に書類を作成して、供述は任意性・信用性があると主張しますが、政治家としての責任と保釈をえさに自白を迫った検察の強権的な捜査・取調は許せません。多くの人がえん罪で社会からはじき出されてつらい人生を送っていることは残念ながら事実です。
 もちろん私の戦いは、無実を勝ち取っても、失った地位も名誉も財産も友人も支援者も、何一つ戻りません。 しかし、人間としての尊厳、絶対に守るべき誇り、志は必ず取り戻せます。どうぞ、裁判で私の無実を証明させてください。
                                 以上