神戸地方裁判所 裁判長様

陳 述 書

私は、平成20年3月に国税徴収法違反事件で被疑者として取り調べを受けた恒松昭三です。
 前回もこの事件で有罪になった上𦚰義生氏の無実について陳述しましたが、当時の記録や判決文を見て、ほかにも事実と違うことや、思い出したことがいくつかありますので、上𦚰氏の無実を証明するため、再度証言します。

 まず、西川さんから法人名義の風俗営業許可申請を頼まれたことから話しますと、平成17年4月半ば頃に西川社長から電話をもらって、この仕事を受けました。その際に指示していた法人の定款や代表者の身分関係の書類が揃ったというので、西川社長の事務所に行きました。

 長年、西川社長の店の営業許可関係の書類は私一人で作成していましたが、私自身高齢になり、体も無理が効かなくなってきたので、後輩の兵庫県警出身のM行政書士も連れて事務所に行ったのです。

 そこで西川社長が設立した風俗営業許可を申請する法人の代表者のY.Hさんと会いました。


Y.Hさんは、三宮でスナックを経営しており西川社長と一緒に何度か私も飲みに行ったのでよく知っている女性でした。
 お店を閉めて西川社長の店で働いているのは西川社長から聞いて知っていましたので、やはりY.Hさんと西川社長の仲は本物だなと思いました。
 つまり、二人は男女の中で、信頼関係があるから、西川社長も法人の代表者になってもらい大事な店を任すのだと感じました。
 それで、必要な書類を作成して管轄署の兵庫警察署にM氏とY.Hさんとが事前相談に行ったのです。

 この日が記録によると平成17年4月19日とのことです。
 そのあとで、M氏から電話があり、「書類の不備がある。法人の出資者が西川社長になっている。」と聞き、対策を考えることになりました。
 翌日20日は、行政書士会の研修会があったので終わってから西川社長の事務所に集まることになりました。

 当時私は、兵庫県行政書士会の営業許可専門部会の委員長をしており、副委員長が上𦚰氏、そして委員の1人にM氏を推薦してM氏は専門部会の委員に就任したばかりだったのです。同じ委員会の後輩となりましたので、許可申請の仕事をさせてあげようと考えて、M氏にこの仕事の声をかけたのでした。
 行政書士会の記録を見ますと、4月20日に確かに営業専門部会の研修会が実施されており、この時は上𦚰氏の尽力で彼の部下であった県警本部の担当警部がこられて研修会で風俗営業関係法令についての講義をしてくれました。
 私たち行政書士会の研修会で、現職の警部さんが講師をするのは初めてでしたのでよく覚えております。

 終了後、委員会のメンバーと事務職員で三宮の飲食店で懇親会をしたあと、私とM氏、それに上𦚰氏にも声をかけてタクシーで西川社長の事務所に行きました。
 私は上𦚰氏を本当に信頼し何かあると相談をしていましたし、西川社長も彼を信頼していましたので私から上𦚰氏に同行してくれと頼んだのです。
 というのも上𦚰氏は法律・行政に精通しており、特に許可申請については詳しく何かと頼りになる人物だからです。

 上𦚰氏にはタクシーの中で、簡単に西川社長から営業許可の仕事を頼まれたが、少し不備があったことを説明しました。
 事務所での話はわりに短時間で済み、結論はこのまま申請しても不許可になるということで、取り下げることに決まりました。 
ただ西川社長は何とかY.Hさんの個人名義で許可申請をと言っていましたが、「Y.Hさんと兵庫署に行っているので、同じ人を連れていけば警察に名義貸しと疑われる。」とM氏が西川社長に強い口調で断っていました。
 記録では、4月21日に取り下げとなっていますので、翌日にM氏が取り下げたと思います。

 取り下げから何日かして30日にある神戸支部の総会の打ち合わせの連絡を上𦚰氏に電話し、その話のついでに、「先日の西川社長の許可の件は、取り下げたよ。」と伝えました。

 判決では、7ページに被告人の弁解として「西川から恒松行政書士も顔を出すから来てくれと頼まれ、サンゴールドの事務所に行った時であり、そこでは、Mも同席し、(中略)何日かして、恒松行政書士からの電話で、その申請がだめになったとの話を聞いた」と示したうえで、判決はこのような事実を否定し上脇氏がサンゴールドで西川社長に会ったのは「4月29日ころ」と断定していますが、この判決の判断は誤りなのです。
記録に明らかなように、4月20日に西川社長の事務所に西川、恒松、M、上𦚰が集まり、Y.Hさんを代表者にした法人の営業許可申請について話をしたことは事実ですし、私がその後上𦚰氏に電話して会合の連絡をしたついでに取り下げの話をしたことも本当のことであり、判決が間違っています。

 そして4月30日には行政書士会神戸支部の年次総会がありました。
 記録を見ますと、上𦚰氏が議長、同じ委員会のT委員が副議長を務めて開催されています。
私は神戸支部の支部長も経験していますので、議長の人選で私が上𦚰氏の議長を強く推薦したのです。その頃は、総会の議事進行で、答えられない質問を連発して執行部を批判する行政書士の方が何人かおり、その対策で現職の市会議員である上𦚰氏の議長就任を私が進言して、上𦚰氏の議長が決まったのです。
ですから、この時の総会は、私自身が議長の人選をしたことから、長年経験している中でも特に印象が深い総会ではっきりと記憶しております。
 総会終了後は全体の懇親会、その後は委員会のメンバーと親しい行政書士数人で二次会、三次会と深夜まで宴会が続き、いつもの通り私は自宅まで上𦚰氏にタクシーで送ってもらいました。

 この日は一日中、上𦚰氏とM氏はそばにいましたが、3人のあいだでは当然のことながら許可の話などは全く話題になりませんでした。
それから5月に入って、連休明けに西川社長から電話が入り「今度は赤松さんという人で、個人で営業許可申請を頼みます。」というのですぐにM氏に連絡し、それから私自身が頼りにしている上𦚰氏にも顔を出してくれるよう頼んだのです。
上𦚰氏は議会で多忙なようでしたが「西川社長の営業許可の件で事務所に集まります。今回だけ、少しでいいから顔を出してください。」と話すと「恒松先生の頼みは断れませんね、わかりました、出席しますがあまり時間は取れませんよ。」と了解をしてくれました。

 昼過ぎにMさんを連れて西川社長の事務所に行くと、約束通り上𦚰氏も来られ、その後営業許可を申請する赤松さんも来てはじめて顔合わせをしました。
 この時、西川社長から「個人での許可申請をお願いした赤松さんです。」と紹介されたのです。話しているうちに、上𦚰氏と赤松さんが知人であることがわかりました。 
上𦚰氏はあまり話さず、急いでいるようで「議会があるので」と言ってしばらくして帰りました。

私は西川社長に「今回は私が警察に行き、許可申請の手続きをします。M氏は書類作成だけで表に出ないことにします。」と話しますと、西川社長も了解し異論もなくそれで決まりました。
 それから私は、赤松氏、M氏と3人で事務所近くの喫茶店で具体的な営業許可申請の手続きや必要書類について打ち合わせをしました。
私が赤松さんを連れて兵庫署に事前相談に言ったのは記録では5月13日となっていますから、西川社長の事務所に全員が集まったのは多分その少し前の5月9日ごろだったと思います。
当時のカレンダーを見ると、連休明けの8日は日曜日で、集まったのは休みの日ではなく平日の午後だった記憶があります。
そこで全員が集まった日から兵庫警察署に事前相談に行ったのが3、4日あとだと思いますので、逆算すると西川社長の事務所に集まったのは月曜日の5月9日頃になります。

判決では、「信用性の高い前記Mの供述調書謄本によれば、西川、被告人、M、恒松行政書士がサンゴールドの事務所に集まったのは同年4月29日ころであり、しかも、既に許可申請を取り下げた後で、かつ赤松もそこで同席して赤松を新たな経営者とする許可申請のやりとりもあったとの事実が認められ、(中略)その場に被告人が同席していたとなれば、同年5月になって恒松行政書士から赤松が名義貸しをすることになったとはじめて聞いたといった話もこれにそぐわない。」として、上𦚰氏の供述を信用せずに有罪としていますがこれはまったく真実と違っています。

つまり上𦚰氏の言ったとおり、5月の連休明けに全員が西川社長の事務所に集まったのです。
それに5月の連休明けに私が上𦚰氏に電話して、西川社長の許可申請の件で事務所に来てくれと頼んだことも事実です。
西川社長から連絡を貰って、私がM氏や上𦚰氏に電話してみんなが西川社長の事務所に集まったのは確かに連休明けであり、5月9日頃の昼過ぎに間違いありません。
私自身がM氏に電話で連絡をしたのですから私の話が当然真実であり、M氏の検察調書にある4月29日頃というのは事実ではなく、間違っています。つまり4月29日に西川社長の事務所で全員が顔を合わせたというのは全く架空の作り話です。

  翌日の4月30日には神戸支部の総会で私もM氏も上脇氏もずっと一緒にいたのに、Mさんがその前日に西川事務所に行った等言うはずがなくいかにも不自然で、到底信じられません。これほど明確に事実と違うことをMさんが勘違いや記憶違いで本人が話すことはないのです。それにまた、年に一度の神戸支部の総会で、しかも上𦚰氏が議長を務め、その後懇親会などで、私や上𦚰氏と夜中まで行動を共にしたM氏が4月30日の総会のことを忘れるはずがありません。

おそらくM氏は自分の言葉を聞いてもらえずに、検事の筋書き通りの調書を作成されたとしか考えられません。
私がそう思うのは、M氏は私に対して「検察はひどすぎる。検察の言うとおりにしないと逮捕されるかもしれない、えらいことに巻き込まれた。裁判の証人なんかには絶対になりたくない。」と何度も悩みを話していたのです。
私の取り調べは高齢もあったのか、穏やかな感じで、時には雑談などしながらの取り調べでしたが、M氏は5度も6度も呼び出されて、被疑者として厳しい取り調べを受けて相当に落ち込んでいたのです。
それにM氏は警察出身で、名義貸しのことはよく知っていますので、「もし逮捕されたりしたら、周りにも大変な迷惑がかかる、自分だけでは済まない、どうしよう。」と顔つきが変わるほど悩んでいたのです。
つまり、事件に関係しているから逮捕すると検事に脅かされ、事実と違う調書を作成されたのに違いありません。

私と西川社長、M氏、上𦚰氏が西川社長の事務所に行ったのは、平成17年4月20日の夜と、5月9日の昼過ぎ(この時は赤松氏も同席)の2回だけです。
これ以外には、つまり、それ以前、そしてその後風俗営業の許可申請をする時も、この4人が西川社長の事務所に揃って集まったことはありませんでした。
私が上𦚰氏の同行を頼んだのもこの2回だけで、以後は全くありません。
当時のことを行政書士会の記録や判決を読み返し、記憶をたどって考えますと、検察の調書は大きく事実と違っていますし、それを元に上𦚰氏を有罪とした判決は明らかに不当です。

今回、当時のことを思い出してみて、上𦚰氏は間違いなく無実であり、この事件は冤罪だと改めて意を強くしました。
裁判長様、どうか再審請求して、上𦚰氏の無実を証明してください。
よろしくお願い致します。

恒松昭三  押印


  認証
 嘱託人恒松昭三は、法廷の手続きに従って、本公証人の面前で
この書面の記載が真実である事を宣誓した上、これに署名押印した。
よってこれを認証する。

     公証人 署名 押印